盛岡にて啄木の関連した場所を集めてみました。
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◆啄木のふるさと・盛岡市玉山区渋民の啄木歌碑第1号の前に立つ筆者
(昭和48年頃)
★ 啄木にとってのふるさとは、旧渋民村であるが、平成の大合併で、現在は
盛岡市玉山区となっている。
もりおかは厳密な意味で、第二のふるさとである。
渋民での尋常小学時代には「神童」呼ばわりされ、親戚筋を頼っての盛岡高等小時代も、その名を汚すことはなかったようだ。
★ 文学に目覚めた旧制 盛岡中学時代、その後、作家を志して何度となく上京を試みるも、病弱のあまり、 よい成果を挙げることはなかった。 もりおかでは僅か三週間を帷子小路の「啄木新婚の家」(現在、中央通三丁目)
で、続いて、八ヵ月余りを中津川のほとり、加賀野磧町(かわらまち:現在、加賀野 一丁目)の「小天地社」跡で過ごした。
★ 期待していた文芸雑誌「小天地」は殆ど売れず、借金のみが残った。地元の
新聞社である岩手日報ともかかわりをもつように なるが、安定した生活費捻出のため、ふるさと渋民に戻って渋民尋常小学校の代用教員に収まった。そして、「われこそは日本一の代用教員」と自負したが、
渋民入りする直前までを、もりおかですごしている。その後の渡道や上京の起点 は好摩となり、二度とはもりおかに足を踏み入れることはなかった。