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山 崎 益 矢

恋しくて来ぬ啄木郷

「啄木・道造の 風かほる盛岡」の構想を描き始めたとき、盛岡啄木会や、盛岡立原会、健碑会のみなさんのご苦労が、ひしひしと心に伝わってくるのを、忘れることはできません。     
また、盛岡市内には啄木歌碑が数多く存在しているが、何ゆえ増え続けているのか、筆者には興味がありました。それは、二十六歳と二ヵ月の生涯で、志半ばにして夭折した薄幸の歌人への慰めなのか。それとも自虐の念で故郷を後にした啄木が、死してすら故郷に戻れなかったのを哀れんでのことなのか。
この『恋しくて来ぬ啄木郷』も言わば先人が開拓してくれた道の延長線上に誕生しました。
石川啄木と立原道造を通してみるふるさと・盛岡の情緒や自然の醍醐味などを、十分に味わっていただければ幸いです。

お知らせ

第 一 章
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   愛宕山の旧南部藩別荘
  藩の『御薬園』跡 
  盛岡市中央公民館
郷土資料展示室では南部家の 調度工芸品・資料展示、当時の建物の一部が別館であります。
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     御田屋清水
   盛岡三清水の一つ 
 大通り1丁目「サンビル」前
第 二 章







ヤマザキデイリーストア   
 
(旧啄木ドライブイン)   
  歌碑(渋民)
 
現在、当時と逆になっている
この光景は今では見られません。
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  盛岡駅前広場の啄木歌碑
  歌碑(啄木五十回忌記念)
昭和三十七年、建碑当時は、現在と違って開運橋を背にし、駅舎と対峙するような向きにあった。
第 三 章
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かつての「木の橋」・富士見橋より立原道造の詩碑 「アダジオ」がある愛宕山を望む

富士見橋の親柱の一つには啄木の歌が陽刻されています。
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生々洞から裏山の林檎園の小径
裏側の斜面にある
『林檎園の小径』から岩手山を望む   (平成12年撮影)
第 四 章
      
 
 
全館蔦で覆われた「ふかくさ」という名の喫茶店。 
落ち着いた雰囲気の喫茶店でもありおしゃべりに興ずるのも趣であろう。
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  旧商家『中村屋』
      盛岡中央公民館わきに
移築されています。
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第 五 章
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岩手公園(不来方城址)=  
   盛岡城址公園(二の丸)  
      付近に建てられた 
啄木生誕70周年記念に
建てられました。
歌碑
 
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   明治三十三年(1900) 

   啄木が三年生在学当時の
    「県立盛岡中学校」
第 六 章
盛岡市先人記念会館    
     歌碑
旧盛岡鉄道管理局盛岡工場の敷地より移設(昭和61年秋)
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                                石川啄木(節子)年譜