「啄木・道造の 風かほる盛岡」の構想を描き始めたとき、盛岡啄木会や、盛岡立原会、健碑会のみなさんのご苦労が、ひしひしと心に伝わってくるのを、忘れることはできません。
また、盛岡市内には啄木歌碑が数多く存在しているが、何ゆえ増え続けているのか、筆者には興味がありました。それは、二十六歳と二ヵ月の生涯で、志半ばにして夭折した薄幸の歌人への慰めなのか。それとも自虐の念で故郷を後にした啄木が、死してすら故郷に戻れなかったのを哀れんでのことなのか。
この『恋しくて来ぬ啄木郷』も言わば先人が開拓してくれた道の延長線上に誕生しました。
石川啄木と立原道造を通してみるふるさと・盛岡の情緒や自然の醍醐味などを、十分に味わっていただければ幸いです。